霜村工務店129年の伝統の足跡
明治28年 | 初代、霜村由松が住居建築大工として独立、建築業を営む |
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昭和3年 | 2代目、霜村辰蔵が建築請負業を継承。 称号を「大辰」と改称する |
昭和27年 |
株式会社 霜村工務店に組織変更し代表取締役に3代目霜村義夫が就任。 |
昭和49年 | 4代目、霜村宏が代表取締役に就任する |
平成13年 | 5代目、霜村博信が代表取締役に就任、現在に至る |
創業(明治28年)~ 初代 由松
明治28年(1895年)初代霜村由松は住居建築大工として独立し、建築請負業を当地大阪市平野区 にて営む。この年は日清戦争の下関講和条約が締結された年にあたります。
町家を中心とした大工として好評を博し、お寺や神社の建築を行う宮大工としても活躍を していました。生野区舎利寺の鐘楼・鐘突堂の建築等に尽力したこともあったそうです。
時代はまさに日清・日露の戦争を経て、大正ロマン・第一次世界大戦へと流れ込むそんな 時代でありました。
当時の様子、関西鉄道(現JR大和路線)の蒸気機関車 明治38年頃 平野区史より |
昭和3年~ 2代目 辰蔵
昭和3年、2代目霜村辰蔵が30代半ばにして建設請負業を継承、屋号を「大辰」と改称する。
正覚寺町の農家の皆様のお仕事を多数こなすなど、地元に愛される大工としての活躍を していました。
時に戦争の足音が高くなる時代、昭和6年には満州事変が起こっています。すでに仕事を 助けていた、息子、義夫も20歳となった、昭和10年に満州へと徴兵される事となります。
義夫が満州へと徴兵されている間も辰蔵は建築の仕事を続け、地域のお客様の信頼を得て 事業を継続していく事が出来ました。
徴兵された義夫にはそれに先立ち結婚した妻がおり、そのお腹には4代目霜村宏が宿って いました。妻は無事に出産するも、義夫はすぐには日本に帰る事は出来ませんでした。
義夫が日本に戻り、妻子と無地再会するのは昭和13年の事となります。
帰国後、父辰蔵の仕事を手伝い建築業に励むも昭和16年、再び、南方のスマトラ島へと 徴兵されていく事となります。働き手であり、後継ぎでもある息子を徴兵された辰蔵では あったが気落ちする事無く、地元の皆様のお声にお応え出来るように仕事に励みました。
3代目 霜村義夫 昭和10年頃 |
4代目 霜村宏 昭和12年頃 |
昭和27年~ 3代目 義夫
戦火厳しい時代、被害を受けながらも仕事を続け、終戦を迎える事となりました。< しかし、義夫が日本に戻る事が出来たのは昭和22年の事でした。 以降、親子力を合わせて建築業を営むも辰蔵が引退する事となり、義夫が仕事を引き継ぐ事 となりました。
昭和27年2代目辰蔵の引退を機に、4代目霜村宏の卒業に合わせて、3代目霜村義夫が総合建築 請負業としての立場を確立すべく、資本金60万円にて株式会社霜村工務店に組織変更しま した。
昭和30年~昭和50年代まで新築住宅・新築文化住宅等を中心に多数の実績と信頼を地域の皆様より得て行きます。
昭和30年 4代目 霜村宏 19歳 |
昭和 32年 頃 本倉 新築工事 吉村邸 現存 |
昭和 36年頃 本社 正面にて 職人たちと |
昭和49年~ 4代目 宏
昭和49年、3代目義夫の急逝により、4代目霜村宏が代表取締役に就任しました。
宏は地域との繋がりを大切にし、青少年の為のボーイスカウト活動や地域の人々の為の 杭全神社の世話人等多くの活動をしてきました。
宏の経営方針は明確で地域の皆様の為に、大きくは儲けずに堅実な商売をしていく事を 第一としてきました。
お陰さまで皆様の信頼を得てオイルショックを乗り越えて、バブル 景気に踊る事もなく商売を続けて来る事が出来ました。
昭和38年頃 3代目霜村義夫と妻 4代目宏とその妹 |
昭和43年頃 5代目 霜村博信と母 無舗装の道路で |
昭和 45年頃 職人たちと 慰安旅行で |
昭和52年頃 大和科学様 新築地鎮祭 |
昭和58年頃 ボーイスカウト 団長として |
平成18年頃 杭全神社総代として |
平成13年~ 5代目 博信
平成13年4代目宏が60代半ばを迎えるのを機に、5代目霜村博信に代表取締役の座を譲り 会長職へと退きました。
博信は長年続くこの霜村工務店の特色を活かすべく、リフォーム専門部門の「アイアイ リフォーム」を設立する。
リフォームには新築にはない、幅広い知識の専門性が必要と なるとの信念に基づいての事です。
以降、リフォーム専門の「アイアイリフォーム」は日々の精進を重ね、お客様のあらゆる リフォームの要望にお応え出来る様に、頑張っております。
現場作業の様子 |
リフォーム説明会の様子 |
工場では加工する設備も 整っています |
キッチンリフォームの様子 |
リフォーム専門だから出来る細かな対応が我々アイアイリフォームの合言葉です。
皆様のお声にお応え出来る人材がいます。 ぜひ一度ご相談下さい。